「語学マニアの勉強法シリーズその3」

久々の友に会った。待ち合わせ場所で待つ間私はヘッドフォンをしていた。
「やぁ、久しぶり。何聴いているの?」
「フランス語。」
「アダモ?」
「それはイタリア生まれのベルギー人の歌うシャンソンだけど、違う。」
「じゃぁシルビーバルタンかフレンチギャルだろ?」
「はずれだ。」
私の心が頑ななばかりに危うく旧友を一人失うところだった。
友よ、私はただ語学教材を聴いていたのだった。

何の目的も無しに語学の勉強をする私を変態と思っている人は少なくないし、
自分でも何故そうなったのか意味不明。
大学受験もあくまでも語学の勉強が楽しくてやっていた結果として学んだもので、
それゆえ塾の先生をやってもまるでセンスが無かった。
「好きな小説を1冊原書で何度も読み返す。」
という勉強法は最高だと思うのだが、なかなか理解されなかった。

世界各国の言語に翻訳されていて、なおかつある程度自分の頭の中にストーリーが入っている作品
私にとっては、「村上春樹」「聖書」それらが該当する。
最近だと聖書はアプリで多言語閲覧し朗読を聴くことができて、
何と語学の勉強に便利な時代かと感嘆する。

通読するのも良いが、1対1で見比べて学んでいくのも語彙力や正確な語法を掴むのに役立つ。
その点聖書は章と節にわかれていてどの言語に訳される場合もそれで対応がとれるので、
だいぶ勉強がはかどる。
1つの節について複数言語を並べてノートに書きだして、
同じ意味の部分に同じ色の色鉛筆でアンダーラインを引くと、
それだけで生きた単語帳になり、暗記のような地味な気分にならずとも、続々と単語や語法が覚えられる。


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