「街の哀歌第43号  吉祥寺エレジー2007」

中央線好きが高じて立川に居を構え、
この東京の水平線ともいうべき中央線の全駅に降りられる通勤定期券(夢の国の年パスと呼んだ)を手に入れ、
そうこうしているうちに沿線に住む絵描きと出逢った。
わたしはまだ20代の中盤を過ぎたあたりだった。中央線沿いの大学を出て間もなく、
もっと中央線の西側を知りたい、その世界に浸りたいと躍起になっていた頃だった。
そしてその中でいかにもその世界観を具現化したような彼女は一層魅力的に映った。

今でも活躍しているロックバンドがまだ駆け出しの頃、
CDを出すのを機にバンドのロゴをつくるべく彼女が制作を担った。
わたしのほうが幾らかロックに詳しかったので、彼らの話についていけるだろうということで、
ライブとその後のロゴ打合せを兼ねた打ち上げにも連れて行かれた。
様々な事情から我らの交際は表に出せなかったのだが、
その時だけは彼女はおれを「彼氏です」と紹介した。たった一度だけ。

吉祥寺から立川への終電の前に帰ろうとするときまって引き留めるのだった。
タクシー代をあげるからと。自費で帰ると言ってもタクシー代を渡された。
しかし終わりの時、貴方は金がかかりすぎるからと言われて放流された。
だから自分で払うって言ったのに。

「貴方のようなろくでなしを愛した自分を恨む、悔しくて仕方がない。
でも貴方ほど自分をある特定の意味合いに於いて魅了した人は居ない。
今までも、今後も、だれも貴方を超えることはない。」
というもったいないほどの御言葉と、
「ぐんぐん走れ中央線」という児童書を残して、私の前から去って行った。永遠に。

雨の日の吉祥寺はいつもより物悲しく見えた。
灰色の空は夕焼けに染まり、やがて夜のネオンが灯った。
それに引き寄せられる気にもならず、「ぐんぐん走れ中央線」を読みながら吉祥寺から立川へ帰った。
ロングシートの橋でうるうると涙を流していると隣の人に心配された。
大丈夫?と聞かれた。「この絵本は、切ないお話なんです。」と答えた。

ほどなく大井町線の走る街に戻り、私は中央線から卒業した。
中央線という路線は無かったかのように自由が丘の酒を貪った。
自由が丘の美観街は冷静に見ると中央線の世界そのものだが、そんなことは気にもしなかった。
十余年の月日をそうしてやりすごした。


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